定期試験の前の丸暗記、終わった途端すべて忘れるって意味ある?
原宿表参道シティーキャンパス通信制高校ではあまり勉強ができないんじゃないか、
という当然の疑問は誰だって浮かぶだろうと思います。
はっきりいえます。
はい、通信制高校のレポート作成で、
まともな勉強はできません。
そもそも、通信に限らず、高校の勉強自体、
政治と行政の意図によるもので、
生徒個人個人を想定して作られているようなものではありません。
通信の体育スクーリングが多いのは、
健康的な国民生活の実現のためであり、
理科のスクーリングが多いのは、
科学技術立国ニッポンの理科教育のため、
英語のスクーリングが多いのも、
国際化に対応、という事情による理由です。
全日制高校になれば、国の事情はさらに強くなります。
個性の伸長は考慮せず、
国の都合によるところで作成されるものです。
中学生や、全日制の高校生の多くは、
定期試験で点をとるだけのために、
試験前になって丸暗記にはげみ、
試験が終わったら全てキレイに忘れるという、
誰がどう考えても、ムダな作業をしています。
「いや、それでもやらないよりはいい」
などと、かつて高校生だった、現在は立派な大人になった人たちは言います。
本当でしょうか?
無理やり丸暗記して、すべて忘れて、おしまい、
がマシなことでしょうか。
意味がないとは思えないのでしょうか。
不思議です。
誰か、それはムダだとハッキリ言えばいいのですが、
大人の多くもそんなことをやってきていますので、
ムダとは認めたくない心理が働きます。
ムダかどうか、理性的な高校生は自分で考えてみるべきです。
ちなみに、いわゆる進学校の高校生はそんなバカバカしい勉強の仕方はしません。
そもそも、試験で点をとるために勉強するという行為が、
単なる点取り虫ですので、
すごく恥ずかしいことと考えます。
試験のためでなく、
素朴な疑問を解き明かすため、
知らない世界を知ることで知的な刺激を受け、
試験の点数とは無関係に、
学ぶことの価値をよく知っているのです。
上には上がいるのはどの世界も同じ。
偏差値60程度の高校生が、
試験で点をとるためだけの、
USBメモリと同等の頭の使い方しかしなければ、
偏差値40とはドングリの背比べ、
と言われても否定はできないでしょう。
そんなことはない、偏差値40と一緒にするな、
と怒り出す人もいるかもしれませんが、
どちも極めて優秀な部類とはいえません。
例えていえば、
地区大会で2回戦で負けるか、
3回戦で負けるかの違い程度で、
世界大会レベルからみれば、
どちらも弱小、ですねえ。
というわけで、通信制を笑うな。
です。
全日制高校に行けば学力がつく、などとは幻想。
二次方程式もできない高校生に二次関数ができないように、
ザルみたいな頭に、いくら水を入れても水が漏れるだけ。
試験のために無理やり詰め込んでは忘れるような勉強を何年続けても、
学力がつくはずもありません。
高校生に必要な学力は、
高校生に相応(ふさわ)しい「読む力」をつけることに他なりません。
小学生には小学生レベルの読む力、
中学生には中学生レベル、
大学生には大学生レベルの読む力があります。
高校生は、高校生に相応しい読む力をつけるために、
読書を欠かさず習慣づけることこそ、
基本的な学力のつけ方ではないでしょうか。
大学受験や資格試験やSPI(就職試験)など、
点を取るための勉強はそれなりのテクニックがあります。
学校ではなく、塾や予備校などで指導されています。
それはそれでいいとして、
点をとるためとは無関係に、
幅広い視野をもとうと心がけ、
学びそのものを面白がったり、
社会問題に深く関心を寄せたりしながら、
たっぷりと学習経験と知識を身につけ、
「読む力を」を蓄えてゆくことこそ、
勉強の醍醐味(だいごみ)に他なりません。
やらされる勉強、
点数をとるだけの一時記憶から解放され、
自由な学びをする環境を手に入れ、
学ぶことが好きな自分を取り戻すために、
もしかしたら、
通信制高校に入学することがプラスに働くかもしれません。
中学でずっと暗記して全部忘れる勉強を3年間やってしまった人、
たいして実績もない「特進クラス」なるもので勉強が苦痛になっている人、
本当にそのままでいいか、
手遅れにならないうちに、
真剣に考えてみてはいかがでしょうか。
今と同じの環境の中でずっと耐え忍ぶか、
思い切って環境を変えるか、
決定は自分にしかできません。
シティーキャンパスは、
個性を殺そうとする環境と決別したい人を、心から応援します。
2019年11月13日(水)
鹿島学園高等学校・鹿島山北高等学校連携施設
原宿表参道シティーキャンパス
渋谷駅東口シティーキャンパス
新宿駅西口シティーキャンパス
池袋サンシャインキャンパス
崎山潤一郎
